KUDAN Project『美藝公』
スズナリにて、KUDAN Projectの最終章?「美藝公」を見てまいりました。本作品の原作は筒井康隆ということ、決して読んだことはありません。そして結局読まずに演劇は観ますし、見終わった後に読むわけでもないのですが・・・。
はたして一体どういう作品なのだろう?タイトルを見ただけでは全くもって意味が分かりません。どうやら、話を聞いていくととっても品格があって人気のある役者に与えられる称号?のようなものみたいです。トコロは映画産業立国日本、映画が市場を動かし人々を豊かにしている世界です。
ところが、この作品を原作にしつつもそこは天野天街、物語は映画市場が蔓延る中にあって演劇をしなくてはならなくなった作家がテーマです。演劇とは如何なるものか、そういう「演劇が演劇を問う」という構造を有しており、登場人物は劇場中に舞台を見出し、観客を見つめたりします。
例えば最初のシーン、真っ暗闇の中で2人が「暗いよ~暗いよ~」と言葉を吐いています。しりあがり寿の真夜中の弥次さん喜多さんでも、こんな雰囲気のシーンは多々あったりして、そんな単純さであのシーンを解釈してしまいそうになりますが、あれは当に暗転から物語が生み出されていく・・・その一番最初の演劇の感情を言い表したシーンと言えるのではないでしょうか?。
そして物語は、よく分からないテーマを抱えつつ、天野天街お得意のギミック構造な舞台を縦横無人に役者は動いていくし、映像を駆使して演劇の中に多層構造を付与していきます。
私は今回の作品で、ふと頭を過ぎったものがありました。「ニューシネマパラダイス」です。決して演劇的な内容が近しいとか、物語がどうのこうのというわけではなくて、映画市場に支えられた世界がそこにあるという背景やら、その中で映画とはどういう存在であったのかということに関して、当時の映像をフラッシュさせていく場面が多く在りました。この表現自体はニューシネマパラダイスのラストを思い浮かべます。全体を見てみると、両者対極にあるような内容の作品同士ではありますが、それぞれの断面を切ってみると、その面は見ようによっては何となく近しいかもしれない・・・そんな程度の感覚ですが、私は劇中にふとそういう映画のワンシーンが思い浮かんできたりしたのです。
さて、話はそれました・・・とはいえ、それ以上に語る言葉を持たないのですが・・・最後に何かを述べておくとすれば、原作が市場経済主義VS映画主義という対比で書かれている(らしい)のに対して、その構造をシフトさせて、映画主義VS演劇主義という構造を天野天街が、自身が行っている表現行為に基づいて解き明かしている作品といえるでしょう。この作品をみて、誰も映画っていいななんて思わないでしょうから、結局演劇主義を全うする人が描いた演劇主義を礼賛する自己満足的作品、これが楽しめる人がいれば、それはやっぱり演劇主義人だったりするんだろうと思う。
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2007年03月11日
千年王國『スワチャントッド』
下北沢「劇」小劇場にて、千年王國の「スワチャントッド」を見てまいりました。千年王國の東京本公演は今回で2回めのはず。途中、若手演出家コンクールで主催の橋口幸絵さんが東京で作品を発表していますが、しっかりとした作品としては2作品目だと思います。
前回見た作品は、東京国際映画祭のリージョナルシアターシリーズに参加したSLという作品でした。私はこの作品が大のお気に入りで、結局こういった傑作を提供してくれる劇団が北海道という離れた場所にいることを悔やんだ日々が幾日もあったのです。
http://www.gekinchu.com/critic/2005/03/post_274.html
そういう思い出深い作品を提供してくれた劇団だけに、今回の新作東京上演は待ちに待っていたという風で、大変感慨深いものであった。それだけに、期待は強く、不満も残るということになってしまったわけであるが・・・。
前回の作品がSLという機関車を擬人化して、東京芸術劇場の小ホールという大変間口が広くて使いづらい劇場をめいっぱいに使って、壮大で重厚な物語を劇場に表現することに成功していた。物語の着眼点もさることながら演出家としての見せ方に尽くヤラレテしまったという印象であった。
さて、今回はというと、うって変わって 下北沢「劇」小劇場である。大変小さな劇場である。そうなると当然の事ながら全体的にこじんまりとした物語になってしまうのであった。前回の壮大さを求めていた身からすると、やはり残念と思ってしまう部分がある・・・もしかするとこれぐらいがいつもの彼らであって、リージョナルシアターの際の彼らは、背伸びだったのかもしれない。とはいえ、それを差し引いても、傑作とは言えない作品であった。物語の構成も少々難解(伝わらない)であったし、エピソードや登場人物に関しても必要・不必要があからさまでバランスの悪さを感じさせた。そぎ落とす作業があればもっとスマートな作品になったのではないかと思うのだ。
父親殺しや近親相姦的なエピソードは、観客の感性にダイレクトに飛び込んでくる感覚ではないと思うので、置き去りの感もある。物語の質はSLに遠く及ばないものであった。
とはいえ、良作である。役者も皆達者である。そして何よりも、奏でられる音楽が心地よい・・・あれだけのリズムを生み出して演劇の中に組み込み、更には役者陣に演じさせるのであるから、並みの思い入れではあそこまでの作品とはなりえないだろう。作家の思想を崇拝して、そこに着いていこうとする役者・スタッフの横顔が想像できるようだ・・・そして、その要望に答えていこうとする作家の注力具合というのもまた、作品からにじみ出てくる。
そういう全体的に良質の作品であるからこそ、全体を少し俯瞰してみる方が、クオリティーが逆に伝わり易いかも知れない。近づいてみると、意外に人間味に溢れてしまったりして、質の良さよりも人間臭さがでてしまうような・・・今回の作品でも広い空間にポツンとモールス信号の機械があれば、それだけで質を感じられたであろう。
今後も見て行きたい劇団である・・・SLを超える傑作を期待して。
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2007年03月10日
八時半『むかしここは沼だった。しろく』
駒場アゴラ劇場にて、京都の劇団八時半の「むかしここは沼だった。しろく」を見てまいりました。こちらの劇団の作品を見るのは今回で2回目、前回見たのは同じくこまばアゴラで「石鹸心中」という作品を見ました。ちょうど2年くらい前のことみたいです。
今、上のエントリーを読んでみると今回も書きたい事はそんなに変わらないか・・・と思います。「静かなテンション」という素敵な表現を私は過去、この劇団に対してしているようですが、今回のものを見てみると単なるテンションに落ち着いており、あまりそういった「静かなテンション」という高貴さとは縁遠いものになってしまっておりました。作品としても、面白い会話をしているのかもしれませんが、それは決して素直な面白さではなくて、あまりにも演劇的であり、それも何となく低レベルなものとして見えてくるのです。故に私は笑えない。劇にのめり込めないまま、時間だけが過ぎていくという始末。
アフタートークで、五反田団の前田司郎氏が滑稽さからリアリティーに変化していく的なことを仰っていましたが、私にはそうは見えず・・・滑稽さがそのまま滑稽さとして劇にあって、ただただ滑稽なものとして見えてくるだけの作品でした。お世辞かしらなんて勘ぐってみたりして・・・。
そうそう、アフタートークがとっても面白かったです。鈴江俊郎氏の話すお話が面白い面白い・・・今回の芝居よりは何倍も面白かった。あんまり今回の作品に触れずに、作・演出家の生い立ちとか考えていることとか、少し昔の演劇界を知らない私には興味深く楽しい話でした。
特に、悲しいときは実はそんなに悲しい状況ではなかったりするし、楽しいときはそんなに楽しいものではない・・・状況を如何に客観的に捉え、それをシーンとして具体化していくという方法論についての部分が興味深く聞けました。そういう話を聞くと彼が演出している作品が、何故にこんなにも滑稽であるのかというところに多少の答えを与えることができました。ただし、今回は滑稽に過ぎましたが・・・。
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2007年03月04日
東京デスロック『東京デスロックのアトリエ公演 unlock#1』
アトリエ春風舎にて、東京デスロックの公演「東京デスロックのアトリエ公演 unlock#1」を見てまいりました。パンフレットを覗いてみると、今回から東京デスロックは青年団リンクとしての活動に移っていくそうですね。アトリエ公演というスタイルに演出家の多田さんは強く惹かれているようで、今後はこの場所を拠点に様々なスタイルの作品を生み出していってくれるのではないでしょうか?。
アトリエ春風舎という場所の雰囲気は私も好きです。劇場としては通いにくい位置にはあると思いますが、何かを生み出していくには、あの温かさ漂う劇場は最適なように思います。
さて本作品は、unlookシリーズということで、これまでのデスロックの「死」へと至る絶望とは異なり、「死」へと向かう道程の希望に目を向けていこうとするものとのことです。特に今回は、その中でもダニエルキイスの「アルジャーノンに花束を」を題材にして人間の「知」に焦点を当てようとするものでした。
「アルジャーノンに花束を」は私はドラマで観ました。ユースケサンタマリア主演のやつです。
本作品では、知というものを「言葉」として捉えたようです。言語化されることこそが、知であり、それこそが人間が持ち得た最も精緻な道具ともいえるでしょう。そして演劇こそは、その道具たる言語に焦点をあてるべく、人間という道具を用いるという高貴で贅沢極まりない所業とも言えるでしょう。
今回のデスロックの公演は、人間の「知」を描くために言葉遊びというスタイルを採用し、またwikipediaという人間の知識が集合知として言語化されているWEBサービスを引き合いにだしてきています。登場人物たちの他愛のない会話が、wikipediaによって補強されより高尚な知へと再定義されていきます。そうやって高尚なところに知が最適されることが、実はそんなにも演劇的に面白くないっていうのはアルジャーノンに花束をからのオマージュなのでしょうか?。
加えて、実験的な表現というものが今回の作品の中では核になっていたと思えます。コンピュータのパーツやケーブルは、現代の知を代表するものとしての配置でしょう。プロジェクターを用いてwiiをやってみたり、激しくダンスをし続けてみたり・・・物語とは関係のないようなシーンが演劇として付与されていきます。見ていて楽しくはありましたが、意図というものはあまり伝わっていませんでした。
とはいえ、アトリエ公演です。自分たちの棲窟で自分達がやりたいことをやっていこうというのは、創作活動としては健全です。実験的な作品を、今後も排出して行って頂ければと思いますね。アトリエ春風舎は大変いいところだと思います。
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【関東・関西】3月以降のお勧め公演情報を掲載しました。
【関東】
こちらのエントリーにてご確認下さい
http://www.gekinchu.com/critic/2007/02/post_61.html
【関西】
3月1日~3日
指輪ホテル『CANDIES - girlish hardcore』at 精華小劇場
http://www.urikomitai.com/
3月2日~26日
売込隊ビーム『マーチ!』at インディペンデントシアター1st
http://www.yubiwahotel.com/
3月7日
現代能楽集Ⅰ『AOI/KOMACHI』at シアタードラマシティ
http://setagaya-ac.or.jp/aoi/
3月9日~11日
France_pan『前向きな死に方』at 精華小劇場
http://frpn.com/top.htm
3月9日~12日
烏丸ストロークロック『漂白の家~白波荘をめぐる半年~』at アトリエ劇研
http://homepage3.nifty.com/tama-sho/
3月13日~18日
ラックシステム『おたのしみ』at 世界館
http://homepage3.nifty.com/tama-sho/
3月14日~15日
犯罪友の会 若手公演『白蓮の針』at ウイングフィールド
http://www.yo.rim.or.jp/~hgcymnk/hantomo/index.html
3月16日~18日
空の驛舎『空の驛舎』at 精華小劇場
http://plaza.rakuten.co.jp/soranoeki/
3月17日~18日
ユニット美人『髪結いの女たち』at ドーンセンター・フリースペース
http://www.eisei.info/unitB/
3月23日~24日
岡田利規ワークショップ『奇妙さ』at アイホール
http://www6.ocn.ne.jp/~aihall/dance/okadaws.html
3月23日~26日
A級Missing Link『人間が不老不死なら全て解決』at ウイングフィールド
http://www.aqml.jp/
3月29日~4月1日
Ugly duckling『三日月エレファント』at 精華小劇場
http://www1.vecceed.ne.jp/~ugly-d/
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