elePHANTMoon『夢を見る、まどろむために』
中野ウエストエンドスタジオにelePHANTMoonの「夢を見る、まどろむために」を鑑賞しに行ってきました。
私のHP、見所の1つ目は「やたらに長い演劇レビュー(コラム?)」な訳ですが、それに加えて私が自分の感覚だけを頼りにお芝居を観に行く「突撃観劇コーナー」、今勝手に考えました。
今回の劇団もそんな「前評判を頼りにとかではなく、ただビビビッ!と来たから観に行きました」的劇団でした。
2時間15分という長い作品でしたが、結構楽しめて見れてしまいました。
こちらの劇団は、映像やロゴなどのクリエイティブプロダクションの中の1つの組織として作られているらしく、そういう発生経路の違いの所為か・・・劇団という枠で動いている他と比較して、クオリティー、そして消費者へと目が向いているという印象。
まずは2年ぶりの公演とは思えない出来、実際に消費される商品を製作している人達が作っているからでしょう・・・必要最低限度の質を軽々とクリアして「良い」作品にまで達している。
演出さんもあまり芝居を見る方ではないようですが、だからと言って演出として問題がある訳でもなく、基本を基本としてしっかりと抑えている。
お芝居を見せるにあたっての基本なんてものは、きっとお芝居に限った事ではなくて、何かを人に伝える、何かを表現する時に考えなくてはいけない最低限の部分であって、教えられたり勉強したりするものではないと思う。
確かに、そういう基本がメソッド化されたものを勉強するのは早いけれども、逆に言えば自ら考えずに芝居を作ることに他ならないし、そうやって作られたものは大概にして普通のお芝居でしかなくなってしまう・・・言い方を変えれば、つまらない作品になりやすい。
近年言われている事に、自ら動ける役者が少ないというものがあるけれども、逆に言えば、そういうテクニックとして教えてもらえる環境と教えてもらうという態度が染み付いている演劇という環境がそういう役者を作り出していると言えるでしょう。
それは演出という立場においても同じであろう、役者に比べれば教えられるという立場に甘んじる機会も少ないように思えるが、やはり道具は数多く揃えられているし、それを踏襲するだけの立場をとる人々が多いというのも演劇も数多く見ていて感じる事だ。
それが問題ではなくて、世の中の多くがそうやって成り立っているのは承知しているから良いのだが、必要なことは、生み出したり、見つけたりというスタンスを取り続けることだと思う。
オリジナリティーというものは考える事から生まれる筈だ・・・理由は何でも良くて「誰も見たことの無い作品」でも良いし「面白い」「感動する」、「気持ち良く寝れる」でも構わない、伝統から見出されることもあるだろう。
要は、考えている匂いがする作品を提供しているかという事で、それは何らかのベクトルを最大限にする努力とも言い換えられる・・・その結果としてオリジナリティーになるかもしれないし、劇作の新たなるスタンダードとして時代に受け入れられるかもしれない。
私は、そういうスタンスが感じられる芝居が好きだし、作品を作る上でもその事を忘れないようにしている。
そして、そういうのをいち早く見出したいとも考えている・・・それらが考えるという事だ。
探索問題を考えてみる・・・幾つもの解候補の中から一番良いものを見つけ出すという問題であるが、数学的にこの問題を解く時に気をつけなくてはいけない事は局所解に陥らない事である。
解候補全体を俯瞰して一番良い答えを見つけ出せば良い、100とか1000の解候補からならそんなに時間が掛からずに見つけられるだろうが、コンピュータでは天文学的な解候補を扱う場合も多い、これを1つ1つ検証していては処理に膨大な時間が掛かってしまう。
その処理時間を短縮する為に考えられている手法が多々あるのだが、これらは簡単に言えば「全てを試す訳ではないが、その中で最適な答えを見つける」方法である。
全部を試さないので、一番良い答えを見過ごしている可能性は残るのだが、限られた時間の中でどれだけ早くより良い答えを見つけていくかというアプローチであり、生命の進化をモデルにした手法などがある(これも、今の環境にできるだけ対応した答えを見つけることでしょ?)。
局所解というのは、例えば、すぐ近くにもっと良い答えがあるのに気が付いてなくて、今の方法が一番良いと思い込むこと。
物事を進める上で、一番恐いのはこの局所解であって、何故それが恐いのかというと自分では気が付いていないという事・・・上の話でもコンピュータは局所解に落ちている事が分からない、だからそれを防ぐ為さまざまな方法が考えられている。
何故急にそういう話をし始めたかというと、このことを演劇に置き換えてみようという話、演出にも、役者にも、無限の手法があって一番良い答えはその中にある訳だが、全部を試す事は不可能である。
じゃあ、どうやって良い答えを見つけるか・・・それは「考える」ことなんだ。
すっごい当たり前の話なんですが、実は難しい・・・特に局所解に落ちていることになかなか気がつけない、システムの内側に入っているとどうしてもそういうことになる。
それを防ぐ為には、演劇だったら演劇から離れてみる、劇団だったら劇団から離れてみる・・・局所解は自分で気がついていないということだから、定期的にそういう作業が必要だと思う。
そういう意味では、今回の劇団は、劇団ではない人達が作った劇団で、お芝居をあんまり見ない人が作ったお芝居・・・私たちが当たり前だと思っている概念を壊してくれる可能性を含み込んだお芝居だったように思う。
結論を言えば、至極真っ当なお芝居であった・・・至極真っ当な芝居を作ろうというスタンスを感じたし、私が求めたものとは違った意味で満足させられるだけの良いお芝居だったように思う。
考えに考えられた芝居で、物語も面白かったし、演出も良かった・・・2時間を越える芝居であったが時間を気にせずに見ていられた。
では、劇団でも無ければ、芝居も見ない、2年ぶりの公演でこれだけの質をもった芝居が作れるのに、世の中の多くの劇団がこのレベルすら至らない作品を作っているか・・・それはやっぱり局所解に落ちているのではと思う。
この劇団で言えば、最初にも述べたように実際に作品を制作するという仕事をしていて、そこで消費者へ向かった思考を訓練している。
その感性が、芝居を作るに当たっても働いているだろうという事は容易に想像できるし、きっとそうなるだろうと思って私は見に行った。
そして、やはりそうだったという感じだ。
そういった事は経験上分かっていることで、芝居にしても何にしても、他分野で活躍している人達が作る別の作品は、基礎的な訓練が多少欠けているとしても、概して良いものになっているものである。
つまり、モノ作りへのスタンスは、そのモノで大きく変わる事は無いし、局所解という話で言えばこういうところから新しいものが生まれでる可能性は高いだろう・・・それは感覚的に言って、正しい事だと思う。
posted by yositosi at : 22:09