« 2005年01月 | メイン | 2005年03月 »

2005年02月25日

青年座研究所29期生卒業公演『からゆきさん』

代々木八幡にて青年座研究所の29期生の卒業公演を拝見してまいりました。
知り合いが出ていたので・・・卒業ということで見ておいてあげようという心です。

近年稀に見る正統なお芝居を見たという印象です。
脚本それ自体が、宮本研という脚本家の作品のようですが、この宮本氏自体が1926年生まれということで、10年以上前に亡くなられております。
そういう観点から考えても、作品自体も過去のものですし、表現とか物語の流れに関しても、現代のアップテンポな印象はなし・・・言葉をひとつひとつ丁寧に紡いでいく感じで、確かに物語上で必要とはいえ、かなり無闇に長い印象ですね。

あ、あと思想色も強いかな・・・ブレヒトに影響を受けているということで、政治という舞台へのテーゼが見え隠れする作品でした。
ブレヒトの流れというだけでも、過去の遺物ではありますよね。

そういう観点から考えても、そこらへんの若い人たちの小劇場が絶対に語らない物語と、絶対に受け入れられない社会思想がこの舞台にはありました。
青年座というところは、奇をてらう演劇や役者よりも、質の高い、逆の意味で言えば役者としてのプロであり個を殺ぎ落とした人たちのお芝居を作るところなのでしょう。
その意味を考えれば、十分に納得のいく論理です。

徹底的にプロフェッショナルであろうという考え方と、そのために成すべき今を演じるという感じかな。

劇団としては社会的な意味があるとは到底思えない・・・ここは劇団ではなくて、質の高い役者を集めたプロダクションという方が正しいだろう。
それが悪いのではなく、結局そういうクオリティを提供する集団と、面白い役者とか脚本家を輩出する劇団はその存在の意味が違うんだから、それは問題のない話なのだろう。

芝居としては価値は全く高くない・・・けど、役者の平均レベルはやっぱり高いのだな。

この中から、その上の青年座に所属できるのは1人とか2人だけらしい・・・30人が、2年間練習してきてその上に行けるのが、たったそれだけなんだから・・・。
私の目で見たって、どんなに絞っても5人は素晴らしい人がいたと思うよ。

そして、私の友人もその1人に入っている。
青年座に正式に所属してほしいものです・・・そうすればテレビの俳優として活躍するのも時間の問題でしょう。
楽しみにしてるんですから・・・お願いしますよ。

 →演劇ポータル「劇人」は演劇と観客を繋ぎます。

posted by yositosi at : 21:37 | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年02月24日

オペラ座の怪人

ジョエル・シューマカー監督の「オペラ座の怪人」を鑑賞。

映像がとっても綺麗でした。
オペラ座の豪華絢爛さに、あ~実際に客席で見てみたいなぁと思いました。
ああいう楽しみをしていた世界もあったのですねぇ・・・うらやましい。

そして、歌も良かったぁ・・・歌いすぎだろ~って思ったですけど。
途中、飽きてきてしまった時間もありましたが、全体を通してクオリティーの高い曲が多くて、画面との相乗効果でとっても満足。

しかしながら、おんなじメロディーで果たして何種類の音楽があったのでしょう?

もろくも泣いてしまいました・・・映画館で涙をガッツリ流してしまいました。
オペラ座の怪人、ファントムの悲しさに一撃・・・寂しさの先に、愛を知った怪人が抱いた感情の、美しさとそれがもたらす孤独。

なんか、最近お疲れモードな私の胸にいやに響いてしまいました。
そういう悲しみ、あれは怪人という殻を被った悲しき男の報われない愛の物語でありました。

オペラ座は、ファントムが見た希望の夢の世界で、地下の世界はファントムの心理・・・仮面は、夢とか心とか自分の弱い部分を隠す為の盾なんです。
そして、醜い顔は孤独の結晶・・・クリスティーナによってその醜い顔を受け入れてもらえたファントムは、孤独から解き放たれて、人としての心で彼女に行くことを命じる。
愛する人の幸せを願った怪人・・・。

悲しすぎる・・・ドワ~~~(泣)。

最後のシーンで、また・・・ドワ~~~(泣)。

あ~しっかし疲れる映画だった。

 →演劇ポータル「劇人」は演劇と観客を繋ぎます。

posted by yositosi at : 22:01 | コメント (2) | トラックバック (1)

2005年02月21日

雲のむこう、約束の場所

新海誠監督の「雲のむこう、約束の場所」を鑑賞しました。

新海誠と言えば、「ほしのこえ」がDVDのみでの販売にも関わらずめちゃくちゃ売れて一気にお金持ちになってしまった孤高のアニメーター兼監督さん。
ほしのこえは、ほとんどの作業を1人でやったんですよねぇ・・・実際には後ろに企業のバックアップはあったのですが、基本的にマックを片手に1人でこれだけの作品が作れるようになってしまった世の中に、コンテンツ業界が驚いたという作品。

実は、私はその前の作品「彼女と彼女の猫」をテレビで見て知っていたんですよねぇ。
メールで2回だけやり取りしたことがあります・・・なんでって?
大学2年の時に、学園祭でインディーズムービーフェスタを企画した時に、彼女と・・・を出品してくれないか?と交渉したことがあります。
著作権が、新海氏に無いと言うことで、作品を提供してもらうことは無かったですが・・・。

今思えば、私の先見眼が露呈した出来事かも?・・・んなことはない。

レビューは後々書きます。

 →演劇ポータル「劇人」は演劇と観客を繋ぎます。

posted by yositosi at : 18:32 | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年02月18日

シベリア少女鉄道『アパートの窓割ります』

新宿はシアタートップスにてシベリア少女鉄道を鑑賞。

いつものことですと、チラシなどから一体どんな作品に仕上がっているのかを想像するのが一興としているわけですが、さすがに今回のは何も想像できず。
HPが年始に大きくデザイン変更されて、人物紹介から野球が関係するのかとは考えていたわけですが・・・。

さてさて『アパートの窓割ります』・・・何も想像できません。
『死ぬまでにしたい12個目のこと』というサブタイトルが入っていまして、果たしてこれはなんだろう?と第12回公演だから?・・・そんなことを頭の中でボワ~と考えつつ、結局のところこんなの考えていてもしょうがないと結論付けます。

実は、事前のWEB経由の評価ではどうもかなり問題がある!ということで、実はかなり期待しないで観に行きました。
良いという評価もあったのですが、圧倒的に批判的なコメントが多かったので・・・正直、それまでのシベリアを観に行く前のドキドキ感を持たずに、どんなに失敗作なのか!というぐらいの気持ちで観に行きました。

実はこれが功を奏したかもしれません。

内容自体を時系列に並べてもしょうがないので、構造に関するコメントに終始しようと思います。
これまでのシベ少は、前半と後半というように完全に構造が分かれていて、ネタ振りに終始する前半とその振ったネタを1つずつ潰していく後半ということになります。
ネタを振っておいて、それを潰していくのは決してシベ少に限ったことではないわけですが、この前後半の落差の大きさが、シベ少のウリであり、爆発とかいう言葉で表現されることが多いようです。
ここがどれだけ離れていて、それでいて前半の物語が成立しうるか!という対極的な事柄を一本の細い線を頼りに綱渡り的に横断するのがこの劇団の最大の特徴であって、最大の期待であったわけです。

演劇というものの既成概念を打ち壊し、脱構築する試みとして評価を受け、メタ演劇といった言葉で賛辞され、またそれ故に大きな期待に応えるという立場に追いやられてしまった劇団、それがシベリア少女鉄道ということになります。

正直に言って、シベリア少女鉄道の試みには、卒業論文でポストドラマ演劇を扱った身の私にとっては、その歴史的な変遷に裏打ちされた「あるべくしてある」という気持ちが強い。
ダダ・シュルレアリスムという20世紀芸術の大きな過去の流れに今更乗ってしまったような方法論、演劇のあるべき美意識、価値感をことごとく破壊しようとする行為は、過去の遺物であるようでいて今新しいものとして、認知されてしまっている。
演劇というメディアのあるべき過去と可能性としての未来を、演劇という基本コンセプトの裏返しとしての方法論で追求する。

電子的なメディアを多用することもあるが、結局観客はそれ自体に新しさを覚えているわけではない。
実のところ、演劇のピュアな部分をこうも観客に意識させる芝居も珍しい・・・観客を自己省察に落とし込むことで人々は知らず知らずのうちに、そのピュアなものとの落差という部分にも面白みを覚えているのではないだろうか。
前回の『VR』が表現の面白みは十分に価値があるとして、評価が低いのはその事に傾倒しすぎて、ピュアな物語を切り捨ててしまったところにあると考えられる。
論理に従って、観客は頭の中にある演劇における基本のセオリーと目の前に展開するものとのギャップに感動を覚えていると理論立てるとするならば、セオリーとしての流れの欠如は、結局のところそれが独立に目の前で行われる何かでしかなくなってしまうと仮定できる。

一言でまとめるとするならば、解体ではなく拡張であるべきということになる。
例えば、『VR』で言うならば元の世界に戻る第3部・・・ここが拡張の段階であって実のところここが一番見せるべき世界であって、ここが観客が期待する劇におけるピュアとしての物語の拡張(とのギャップ)なのである。
解体させた2部はネタ振りであるべきであり、実際にそうであったはず。
作・演出の土屋氏は分かっていた筈で、そこが薄かったのは確実にミスだと思う。
難しいことは想像に容易いので、頭が下がることは下がるのであるが・・・。

ここまで、シベリア少女鉄道のこれまでの劇構造とその意義と周辺を私なりの言葉で語っておいて、本公演『アパートの窓割ります』に入ります。

語るべきは、これまでの前・後半という明確な区切りが無かったことです。
エピローグに入ってからが後半にあたるわけですが、これまでの爆発に値するような大きな変化は無い。
それぞれの役も維持され、舞台も維持され、会話も維持される・・・何も壊されない。
シベ少=後半の爆発ということならば、これはシベ少ではない・・・確かに不評の理由もわかる。
方法論が、存在理由に置き換わることは多々あって、シベ少も例外ではない。

だったら、何で私はこうも満足できているのか?

これまでのシベ少は演劇の解体を試みてきた。
今回は、演劇であることを認めている・・・素直に役者を演じ、物語を紡ぐ、じゃあ何が壊された?
壊されたのは脚本であって、こうあるべきという人々の先入観の裏をくすぐった作品なんだ。
これまでと解体しているレベルが違う・・・確かに演劇の脱構築を掲げたシベ少という枠では語ることが困難なのだが、いつかはたどり着く地点であってそこに挑戦した勇気に私は脱帽する。

その辺の劇団が同じ事をやってもそこにある意味は全く違うものになるだろう。
悪ふざけでしかない、面白いと思うかもしれないが、そこには価値が無い。
シベ少が、これまで積み上げてきた実績から得た12個目に挑戦したいことがこれであったということに意味があって、物語とはこうあるべき、感動にはこう展開されて導かれるべき・・・という物語の鉄則のようなものを解体させる試みの中に、シベリア少女鉄道の脱構築がひっそりと紛れ込まされている。

殻を破ったという気がする・・・いや、そう期待したい。

シベリア少女鉄道で感動しそうになってしまった・・・こんな感情に晒されると思ってもみなかった。
その感情は全てことごとくかわされることになるわけであるが、そこに心地よさすら覚え、「あ、新しい」という印象を持ち、シベリアらしい匂いを感じる。
終わりの言葉で、会場中から「え~!?」という声が漏れる・・・この瞬間に私は、「あ、シベリア」と思い、思っていた以上に満足してる人が多いのではないかと肌が感じた。

次回は、紀伊国屋サザンシアター・・・新しいシベリアの時代が始まる事を期待しつつ。
みんな演技が上手くなっているなぁと思いつつ、お世辞にも上手いとは言えない事に微笑む。

とか書いてきて、こう言っては元もこもないのですが、DMは「死ぬまでに~~」が主題でしたよね。
チラシの文句にも、圧倒的なスピード感とか迫り来る魔の手とか書かれていて、もしかしたら全く違う作品を目指していて挫折したのではという予想もしているのです。
その割には、芝居が結構ちゃんと作られていた事に解せない自分もいるのです。
シベリア少女鉄道・・・何がしたいのか、何が本質か、分からないところが、やっぱ楽しいのです。

>>しのぶの演劇レビュー
しのぶさんが、こちらに本公演の内容が細かく記載されております。
今回は、内容には一切触れなかったので、物語等についてはこちらをご覧になると良いと思います。

>>こんなものを買った。
ネット上のシベリア評論をまとめてあります。
こう見ると、本当に不評だなぁという印象であります。

 →演劇ポータル「劇人」は演劇と観客を繋ぎます。

posted by yositosi at : 21:30 | コメント (4) | トラックバック (0)

2005年02月17日

スクエア『ラブコメ』

中野は中野ザ・ポケットにて関西の劇団スクエアの「ラブコメ」を鑑賞してきました。

最近、関西の劇団がいいなぁと良く書いています。
確かに、東京の方に出てくるぐらいですから、もともと実力があっての事というのは分かるのですが、にしても唯我独尊としてクオリティーの高いのが多いなぁ。

正直、頭下がります・・・。

というわけで、前回に引き続き今回も関西系劇団です。
こちらの劇団は近畿大学の演劇部OBが中心となっているようですね。
学生劇団の我をも省みず的な勢いと笑いのバランスの良さは過去に覚えがありません。

ネットでの評価も随分と高かった為、かなり期待して観に行ったのですが、私の期待以上に楽しませて頂いて、胸は感動一杯、心は暖かという心持。

作は森澤匡晴さん、演出は上田一軒さん・・・先日のアグリーダックリングもそうでしたが、作と演出が分かれているというのはなかなか無いですよねぇ。
私は物語を書く時に、ここでこうして~こういう照明かなぁ?って考えながら書くので、作と演出が分かれているなんて想像も出来ないです。
自分で書いたら、自分で演出したくならないものなのかなぁ。

ま、優秀な本を書けても、優秀な演出が出来るとは限らんですからね。

はてさて、物語はというと、劇中劇という構造をもったシチュエーションコメディーです。
劇団とびっきり☆ドリーマーという劇団の第16回公演「ラブレジスタンス」の公演初日から物語は始まります。
台本は最後が出来上がっていない、小道具も大道具も何もかも詰めが甘い状態で迎える本番。
出来上がってきた脚本は、個人的な話に終始していて問題外。
本番まで後10分・・・いったいどうなるんだこの芝居!

劇としての、劇団とびっきり~~の演技もかなりしっかり描かれますし、なんと劇中劇としての「ラブレジスタンス」も1時間ぐらいはちゃんとあったんじゃないでしょうか?

どちらもしっかり描かれていて、外側でのフリがちゃんと1つずつ劇中劇の中で処理されていくので、何が起こるのか分かっているけど、お客さんは大笑いです。
正直言って、2時間30分笑い過ぎってぐらい笑いに溢れています。
この芝居をみて、何かを得るということはないですけど、皆さんすがすがしい気持ちになれるほど笑いで気持ち良くなって帰れます。
う~ん、楽しかった~~!!

シチュエーションコメディーとしてここまでコメディーに徹しているの久々に見たかなぁ。
三谷幸喜が有名なジャンルですけど、久々に良いものを見たかな。
ネタとそのフリがかなりダイレクトという印象を持ちました。
三谷だと1にするにも、2+1-3+1=1ぐらいに緻密に構築して直接的には笑いにならないような計算がされているものですが、こちらは1=1という印象。
別にそれが問題なのではなくて、同じシチュエーションというジャンルにしてもそこでのネタの構築の仕方は随分違いますという話。

ラブコメは、数の応酬という感じですね。
立て続けに、笑いにネタを振りまいていきます。
2時間半で何個ネタがあったのか、数えてみたいものです。

いや~面白い。

 →演劇ポータル「劇人」は演劇と観客を繋ぎます。

posted by yositosi at : 17:43 | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年02月12日

Ugly duckling『フルオーケストラ』

池袋は東京芸術劇場小ホール2にて劇団Ugly ducklingの第23回本公演「フルオーケストラ」を鑑賞してまいりました。

東京芸術劇場、今週2回目ですね・・・来月はリージョナルシアターシリーズが開催されるので、もし時間があればしばらく通いつめることになりそうです。
っていうか・・・私、お芝居見すぎですね。

さて、今日のは大阪の若手実力派劇団ということで、ちょっと前にチラシを貰ってから随分気になっていた劇団でありました。
クロムモリブデンの板倉チヒロさんが客演というところから入りまして、HPで過去の作品の映像が見れるのも私に良い印象を与えてくれましたね。
そういう地道なトライアルがこうやって観客を集めることになるのでしょう。
HPのデザインに関しては正直、いかがなものかとおもいますが・・・。
ま、お芝居に関係ないので、あんまりつっこみません。

お芝居は、「ラを叫んで次のシを待つ」という言葉をキーワードに物語が紡がれていきます。
どういう事かといいますと、音階でドレミ・・・と進んでいくとラがきてシに至るということで、音とか周波数、メロディーといった音にまつわるキーワードとバベルの塔という神話を組み合わせて、物語が進みます。

印象としては、野田秀樹みたいな物語の作り方だなぁという印象・・・野田ほど言葉遊びに傾いてはいませんが、多少そういう傾向はあると思いました。
キーワードで繋がりそうなところを繋げては壊すという劇作法だと思います・・・いろいろな言葉が物語で使われますが、そういうのは意外に意味は無いという感じで、そういうところに囚われていると物語の本質を見逃しやすいと思います。
野田の近年の作品に(野田地図)近いかもしれませんね。

近年では珍しい作品を作っているという印象・・・小劇ではあんまりこういう80年代的なスケールを持った作品って好まれなくなっているという印象を持ちますので・・・その意味では希有かもしれません。
口語演劇なんていうリアルな芝居が流行る中、流れに逆行する行為ですが、私は好感を持ちます。
しかし・・・若手の学生劇団からのし上っていったような力溢れる芝居をする劇団、関西は良い劇団が多いなぁとつくづく感じます。

口語の影響が関西まで達してないのかな?
口語を否定しているわけではないですよ・・・。

お芝居の方は、多少内容が私に伝わりきっていない部分もあり、全てを解せてはいないのですが、簡単に説明しますと、ラは子供が生まれる時の泣き声で、シを待つというのは文字通り「死」です。
そういう意味で、人の一生はドレミの音階であって、世界はフルオーケストラであるというのが基本コンセプト。
舞台上には3つの世界が展開します。
古代の街を復元しようとする二代目針子と謎の男・・・その土地の少し昔、キキとララがフェンス越しに語り明かす時間・・・そして、古代の街の罪人ドレミの時代(間違ってるかもしれません)。
それぞれが相互リンクする様は、野田地図のパンドラを彷彿とさせました。
多少中弛みをしつつ、後半に一気に盛り上げていったのは、さすが・・・上手いですね。

他の作品を見ていないので、なんとも言えませんが・・・本作品に関しては物語を追いかけ過ぎると失敗する気がします。
それよりも、雰囲気とか言葉の流れを追ったほうがスッキリと楽しめるでしょう。
脚本の上手さは一品だと思います・・・あれだけ想像力に裏打ちされた重厚な作品は近年珍しいと思いますよ。
世の中、リアリティーの流れですから・・・。

まぁ、雰囲気を語り切るには、まだまだ役者陣の力の弱さをひしひしと感じましたけれども。
あ、あと面白い方が良いなあ・・・言葉遊びに面白さがあればより良くなる。
別に、野田を目指せとは言っていないですけどね。

脚本はひぐちみゆき氏、キキ役もしておられました。
声がカッコイイ・・・声優で男の声をやる女の人みたいな声でした。
う~ん、男の子という役柄には多少違和感を覚えましたけどね。

ララを演じていた吉川貴子さん・・・良い声しています。
女性的な声というよりは、とっても聞きやすい声・・・低音をしっかりカバーしていてお腹から声を出しているなぁというタイプ。
演技は上手いかなぁ・・・もう少し動きやすい役どころだったらもっと上手く動くかも知れないですが、動かない役だったのでもしかしたら本質は見れていない気がしますが・・・役者としての力は感じるな。
こちらも年齢の低そうな設定の割に、行動がしっかりし過ぎていて年齢不祥な感じで違和感。

ドレミ役の出口弥生さん・・・素敵でした。
本公演で、唯一のヒロインかな?いまいちどこが主役なのか分からないけど・・・きっとドレミなんだろう。
言葉が上手・・・体と心がきちんと繋がっていたのだろう、それゆえ、言葉がしっかりと板に着いていてこっちまでちゃんと届いてきた。
「とざいとうざい」の声もちゃんと出てて素晴らしい・・・こういう落語みたいな喋り方は私にはできないし、きっと相当練習したと思われます。
私の感情移入対象は彼女でした。

製作でリサイクル屋の池田祐佳理さん・・・面白いです。

二代目針子・・・カッコイイし声も素晴らしい・・・前説してた人が役者もやってて驚き。
タッキーかと思った・・・似てる?!

板倉チヒロさんは力強いと思ったです・・・客演であって、モリブデン的要素忘れず!
1人異質でありました・・・楽しめましたよ。

というわけで大絶賛というほどまでは行きませんけど、今後に十分期待できる劇団かな?
女性作家なので、女性の心のありようは上手いなぁと思いました・・・あとは男がもっとありありと描けるといいかな。
スタッフよりは役者が気になる・・・今日のはもしかしたら誰が中心なのかが散漫になっていたからかな?どっちにしても、これは!という役者がほしいな。

会場に演劇評論家の扇田昭彦氏を発見・・・ロビーで雑談していました。
この劇団観にきたのか~すごいなぁ、こういうメジャー前のお芝居もちゃんと見るんですね。
野田さんとかと対談をされている方です。

物語の構造に関する評論が多々見受けられましたので、まとめておきます。

>>現代演劇ノート~〈観ること〉に向けて
松本和也氏による批評を見つけましたので、コメントをしておきます。

『時間軸を繋ぎ人物を重ねていくことで1つの世界に辿り着きそうにも思える幾多の細部は、しかし結局のところ3つの挿話がそれぞれの世界としての自律性を獲得していく』

3つの挿話は結局最後まで確信的な収束を齎さないままに終焉する。
確かに、各々の物語は内容的には自律的に干渉を受けない形で進展していく・・・しかしながら自律しているとは言い難いのではないだろうか・・・。
それぞれの物語は着実に他の物語への距離を縮めていくし、自律したエピソードたちは、各々のエピソードの相互干渉によって1つの物語へと形成される、補完行為によって断片は繋ぎ合わされて、ズレは歪みとして物語の中に取り残されていく。
接続を行う者としての語りべ針子という存在が、物語の上層部に位置し、並列構造としてララとドレミが存在する。

1+2の物語構造を持ち、自律した物語群は時系列的に並行な物語の相互作用と、糸で結ぶ役目としてのリンカーによって成り立っている。

>>休むに似たり。
観劇の中で感じた印象を率直に言葉に起こされています。

『ファンタジーの見た目、言葉遊びも織り込んでいるなど、芝居を形作るものは相当な作り込みがされているようで、安定していて不安感はありません。』

確かに、樋口美友喜氏の脚本には力がある。
裏打ちされた重厚さというよりも、想像に徹底的に傾倒した構築作業といえるだろう。
その基盤としてあるのがファンタジーという遊び心なのではないかと感じる・・・つまり、この脚本は本質とするテーマを塗り固めていったというよりも、そのテーマの上に何層ものチョコレートを塗ってしまったようなものではないか。
本質はその奥に隠れてしまったが、その外側が甘くて価値のある有意義なものになってしまっている・・・それはファンタジーという規定の無い世界、遊びの術の結実といえる。
積み上げては崩す・・・そういう方法論なのだろう。

不思議と納得できるのは、そういうコンセプトが明確に提示されているからではと感じる。

ビデオを1作品購入してしまいました。
ゆっくり鑑賞しまして、付け加えることがあれば追記します。

 →演劇ポータル「劇人」は演劇と観客を繋ぎます。

posted by yositosi at : 22:45 | コメント (2) | トラックバック (1)

2005年02月11日

パパ・タラフマラ

中野はスタジオサイにてパパ・タラフマラ公演「三人姉妹+ヲg」を見に行ってきました。

まずは、松島誠演出の「ヲg」、この方はパパタラ初演出らしいですね。(初めてなので分からず)
リンク先から引用、「ゴトーを待ながら」(Waitinng for Godot)ひかかった2文字「ゴドー」のg、「を待ながら」のヲ。
ということであります・・・正直読んでいないので、内容と原作?脚本との相関は分からず。

ダンス+少々の台詞という感じで中間的な印象、どちらかというとダンス寄りですけど、身体表現の直接さという観点からすると、先日のコンテンポラリーダンスなんかに比べるとかなり動きと意味が結合していました。

だから、中間的。

それでヲgですが、とっても無機的な印象・・・ダンスそのものは躍動的なので、逆のイメージを抱きそうなものですが、演出の問題として非常に機械的だったです。
舞台上に液晶で映し出される映像とか、プロジェクタで舞台に映像を投影ということからもそういう印象を持ったのかもしれませんが・・・結局、そういう無機の参入を許すだけの余地が身体の側にあったということはいえるでしょう。
面白いというよりはコミカルな動きが多かったかな?
およそ人とは思えなくて、まるでロボットか何かという気がしてきました、そういう意味でのコミカルさ。
人間的な肉体動作を排除していくと、どうしてもそうなるのでしょうけど・・・。

全体として機械の印象を持ちました・・・面白い演出、面白い動きなどなどあったのですが、どうしても機械的に進行していく、ある意味で予定調和のように進む一連の流れという目で見てしまいました。
楽しめはしたのですが、演劇としての不安定さに欠けたのかな?・・・空気がいまいち見えてこなかったです。

何か心にズッカーンとくるものは無く・・・動いてるという感動だけでした。
衣装は素敵って後ろの女性が言ってましたけど、同感・・・ほしいです。

鍛え上げられた肉体ですね・・・後半の三人姉妹もそうですが、ダンスは肉体運動でパパタラはそれに声という要素も入ってきているので体の鍛え方が違うと思うのです。
舞台役者で、なかなか体が鍛えられてるなぁという印象をもつ人はいないですが、ダンスの人達は完璧な肉体という印象。

余ってません。

次は小池博史演出の「三人姉妹」、これはチェーホフ「三人姉妹」がテーマみたいですね。
読んでないから何とも言えませんけど、きっとかなり解体されていることでしょう。
どうでも良いですけど、この三人姉妹って流行ってるのかなぁ・・・いろいろなところが演出している気がする、最近。

まず結論を先に言っておくので、疲れた人はここまで読んでくれれば結構・・・すばらしい!この一言で十分。
あんな小さい劇場でカーテンコール鳴り止まなかったのって始めてかな・・・でも分かる、私も精一杯の拍手を送ってもいいと本気で思ったから、4回はさすがに長くて手痛かったけど、でも悪い気は全く無く、心のそこから拍手しましたよ。

タイトルからも分かるとおり、女性3人のお芝居で白井さち子・関口満紀枝・あらた真生という御三方が熱演されていて、1月中旬にモントリオールで同作品を上演してきたらしいです。
更に洗練されているようですが、ひとこと・・・動きすぎだと思いました。

芝居の上演時間は1時間満たないぐらいですが、その間中3人で動き続ける・・・全く止まらない・・・台詞を覚えるかのごとく、体の動きというものを覚えていくのだろうと推測されますが、半端じゃなく動き続ける。
芝居なら喋り続けるに近いぐらい動きます・・・止まりません。
女性3人が、奥に引き込むことなど全く無く、動き続け、汗を噴出し続けます。
飛んだり回ったり・・・すごいとしか言い様が無いです。

ヲgに比較すると、まさにこちらは有機的であり、パワーでありオーラです。
女性3人の汗の匂いなのかな?・・・違うかもしれませんけど、熱が舞台のほうから漂ってくるんです。

えっと、写真にあるとっても露出の高い変な服がとっても素敵でした・・・服の中が暑かったのでしょうけど、上の服を脱ぐともうその下はびちょびちょですわ・・・そりゃ汗も掻くだろう・・・中盤で汗が額から滴り落ちてましたからね。

素晴らしいものを魅せていただきました。
肉体言語の力の強さを再認識させられる日々です・・・明確な何かが無い分、人の想像の世界を膨らませる効果に大です。
そういう意味では、肉体は冷たいメディアといえるかも知れません。

芸術ですね・・・舞台は総合芸術といわれますけど、中世的な意味ではきっと、その一部でしかないと思います。
それ自体に価値があるかよりも、それを基点にして価値を生み出そうという姿勢なのでしょう。

 →演劇ポータル「劇人」は演劇と観客を繋ぎます。

posted by yositosi at : 23:24 | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年02月07日

ALICETOPIA

東京芸術劇場小ホール1にて矢作聡子さんによるダンスパフォーマンス「ALICETOPIA」を見てまいりました。

絵本「ALICETOPIA」(作・天沼春樹/画・大竹茂夫/パロル舎刊)にインスパイアされた作品との事ですが、絵本自体を読んでいないのでなんとも言えません。

ダンスというものを真面目に見るのは初めての体験だったのですが、無味乾燥とした黒塗りの舞台の中に身体表現のみによって展開されるイメージは、躍動する魂といった印象。
言葉という具体的な情報が無い舞台は、こうも人間の内なる部分を創発するものなんだ・・・という正直な感想を抱きました。

数人の女性ダンサーが様々なイメージを舞台上に展開していく1時間・・・映像や音楽が舞台の中でやはり無機的に流される中、その流れに乗る女性達の体が放つ空気が異様で、どんどんと舞台の中に漂っていくのです。
その淀みの奥に表象されるメッセージが蜃気楼のように浮かんでいる。

すばらしかった・・・私は、舞台の経験は浅くは無い人間であるが舞踏というのは初めてだったのだが、言葉を使わずして、体の筋肉を駆使して言葉、イメージ、そして音すらも体現していく。
正直にいって衝撃ではあった・・・肉体表現を用いる劇は多々見てはいるが、言葉が無いのは初めて、そして言葉が無いことによってそこに浮き上がってくる深層はもはや言葉で語っては表現できない空気といえるだろう。
肉体のアイデンティティを垣間見た気がします。

本公演の演出を手がけた矢作聡子は、芸術振興の為に国費留学をパリで二年間経験、本作品は帰国後の第一作とのこと。

過去の作品ですが、ビデオを一応・・・。

音楽も素敵でした、音響さんにお話を伺ったところオリジナル+ダムタイプなどなどとの事。

とってもすばらしかったです!舞台芸術を語るにあたって、ダンスも欠かせないなぁと痛感しております。

 →演劇ポータル「劇人」は演劇と観客を繋ぎます。

posted by yositosi at : 22:20 | コメント (4) | トラックバック (0)

2005年02月05日

ベターポーヅ

ベターポーヅの公演「しみひとつない」を、新宿シアタートップスに観にいってきました。
9年前の作品を再演とのことで、期待はいやがおう(嫌が追う?)にも膨らみますね。

パンフレットからの抜粋ですが、
1.シリアスなんだかナンセンスなんだか分からない。
2.舞台上の誰に視点を置いてみれば良いのか分からない。
3.クライマックスを作らない。
4.しかし不条理にはしない。

こういうスタンスで作られた演劇であります。
うん・・・まさに、言っていることを実行しているところがまず素晴らしいと思います。
ペタポの芝居は、意味がわからない表現は多いのですが、ぜんぜん不条理演劇というわけではなくて、分からないものを分からないと観客に納得させてしまう力があります。

つまり、「分からない・・・何だろう?」と考えることを否定させます。
今日、始めに観た南船北馬一団では意味がわからない物語を何とか理解しないと、何も得られないまま終わるのじゃないか?という不安にかられますが、ベタポは意味が分からないですけど、別に分からなくても良いやという気分に観客を置きます。

だから、クライマックスと作らなかったり、シリアスなのかナンセンスなのか分からないけど、そんなところが重要じゃないと観客みんなが知っているから十分に面白いのですね。
芝居終わった後に、聞こえた言葉で、2人のおばちゃんが偶然同じことを言っていたのですが、「意味分からないけど、なんか良いのよね」って言っていました。
この一言は、批評することを否定しているようで、実はこの劇団のコンセプトを一番的確に表現している言葉なのではないかと思います。

不思議な雰囲気だな~本当に・・・前回の作品より随分と具体世界でしたし、人らしい人を表現していました。
前回の作品では、大人の女性が観る歪んだ夢という表現をしたのですが、今日のは決して夢ということではなく、現実の世界にぼかしのフィルターをかけて行為の意味を見えづらくしたという印象。

決して、夢ではないです。

面白いなぁ・・・役者さんが良い、作演出の西島さんがダントツに下手糞ですが、すべての役者がすべて個性を持っていて、それがバランスよく表現されていく。
本当に、誰に視点を置いて見たら良いのか分からなくなる・・・そんな見方したくないと思う、だって、どの役者も見ていたいと思うから。

しかし、女性陣が素晴らしい。
不思議動作が板に付いていますね・・・かまぼこ並に(笑)。

加藤直美さんは同郷というか私の実家の隣の女子高の学生だったという方です。
きっと私が小学生ぐらいのときに、すれ違っているはずです!!
そんな加藤さん、いつ見ても素敵ですね・・・キレイという言葉が似合います。
美人ボクロが良い個性出してます!

松浦和香子さんは動きと声が可愛いのです。
小さいので一家に一人ほしいです。
ベタポの雰囲気でずっといてくれたら、きっとずっとほわわ~んという気持ちでいれそうです。

吉原朱美さんは、独特の雰囲気。
一番異質ですが、その異質っぷりが気持ち良い。
キングオブ個性の称号を与えたいと思います。
動きが変なので、きっと筋肉のつき方が人と違うのでしょう・・・。

猿飛佐助さん・・・う~ん、独特としか言いようが無い。
役を演じているというより、猿飛佐助でそこに立っているという印象。

あ、ベタポは基本的にそうか・・・。
役者の個性重視のお芝居です。

女性達の服装が素敵でした・・・リメイク系でしょうけど、モスクワみたいでした!!

上演時間は1時間ちょっと、もっと見ていたい!3000円で1時間は短い・・・というよりもベタポの世界は物語とか重いものを追いかける必要が無いので、余裕で3時間とか見れると思います。
1時間は短いよ!・・・もっとあの世界に浸っていたいです!

 →演劇ポータル「劇人」は演劇と観客を繋ぎます。

posted by yositosi at : 21:05 | コメント (0) | トラックバック (1)

南船北馬一団

タイニイアリス南船北馬一団の「にんげんかんたん」を鑑賞しに行ってきました。

大阪を中心活動する劇団とのことALICE FESTIVAL 2004に出場の関係で東京公演を行ったようです。
ここのところ、関西系の劇団に注目しておる私です・・・今月はあと2本ほど関西の劇団を鑑賞の予定になっております。

こちらの劇団を鑑賞しようと思ったきっかけはチラシ・・・すてきなデザインで私の心はグワシと鷲掴み。
ホームページには過去の公演の写真が載っているのですが、これがどれも素晴らしい舞台美術・・・これとかこれとか・・・・。
すてきな舞台・照明・演出を垣間見れたので、これだったらきっと面白いに違いない・・・物語が駄目でもこの舞台を作れるなら、楽しめるだろう!
という淡い期待と共に、タイニイアリスへ・・・徹夜で作業して明けての観劇でありました。

劇場に入るなり私の中に衝撃が走ります・・・あれ?期待していた程の舞台美術じゃないぞ?
あれれ・・・ここでちょっと嫌な予感です・・・。
舞台美術に期待していただけに、私の前にある安っぽくて多層性が全く見えないシンプルな舞台はここで20%幻滅。

気をとりなおして、舞台は始まりました。

ほとんど意味がわかりません・・・各シーンでのエピソードは分かるのですが、それが結合された全体としての物語は形を結びません。
夢の物語です・・・ですから、物語をそこで成立させる必要は無くて、夢の不可思議さという視点に立つならば、それはもはや何でもあり。

夢はそういうものです・・・イメージの世界ですから、人間の想像力の無限が垣間見える場所です。

しかし、夢には人の深層心理が描かれると言われるし、決してそこにはイメージの無限があるわけじゃない。
夢を見るというのは記憶の定着作業で漏れた情報がバラバラに繋がるからという説からも分かるように、自分が知らない世界は見えないのです。

では、舞台で夢を扱うならそこに何を表現すべきか?
夢は意味がわからないものなのです!ということを表現するのか・・・違う。
夢の体裁を採ったメッセージを盛り込む、ただひたすら笑える舞台にする・・・そして綺麗な舞台表現に執着する・・・いろいろと方法論はありますけど、すべてに共通するのはそこに価値が見出せるか?ということ。

自己満足に終わりそうになる世界を、如何に客観視できるかが重要。

本公演も、伝えたいメッセージはありました。
追いかける人と追われる人・・・これはある1人の人の中にある衝動です。
人は1人の中でバランスを保つものだから、1人の中に相反する意識があるというコンセプトは至極当たり前。
意味がつかめたのはこれぐらい。

子供の夢です。
ミヒャエルエンデのモモとか鏡の中の鏡を髣髴とさせるお芝居でした。
世界観はとってもいいのですが、何しろ笑いも無ければ、綺麗な舞台表現も無い。

正直、意味がわからなくて目立った起伏も無いお芝居を2時間近く見ているのは徹夜明けには辛かった。
1つだけ言いたい!
舞台美術だけは何とかしてほしい・・・過去の公演の写真みたいな舞台と今日の物語が組み合わされば5倍は見える作品になるでしょう。

あ、あと役者もレベルアップ期待・・・しかし、テンションの高い夢だったなぁ。

 →演劇ポータル「劇人」は演劇と観客を繋ぎます。

posted by yositosi at : 17:50 | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年02月04日

ヒンドゥー五千回

ヒンドゥー五千回の第12回本公演「僕らの家、僕らの海」をOFFOFFシアターにて観劇してきました。

始まる前の当たり前の注意・・・。
「携帯電話等音の鳴る電源の機器はお切りください!」
ぎゃ、逆やん!!音の鳴る電源って素敵!

学生時代の仲間が数年ぶりに再会、一つ屋根の下で同居を始める・・・。
しかし、長い年月はそれぞれの環境を変え、互いの関係を変えていることに気が付くのだった。
それでも離れられないという意識が、それぞれを苦しめる。

社会に生きることを選んだ者達と、過去に生きることを選んだ者達の対比の中で、記憶の行く先を描いていきます。
過去は基本的にすばらしくて、未来は基本的に辛いものだと思うのです。
今書いている脚本でも「過去」という言葉がテーマになっているのですが、過去は自分が生きてきた証なんだと思う。
劇中で康夫は過去の話しかしない男として描かれるが、そこには今を否定して過去にすがりつく安楽があるのだが、結局彼が思い出話ばかりするようになったのは、今のこの家があの日の海とはもはや違うのだという認識と、その海を取り戻そうという試みなんだろう。

仲間が1人死ぬ事で、試みは終焉を迎える。
・・・康夫は動き出す。

未来を見て人は生きていくけど、それは過去を忘れるという努力をすること。
忘れるわけではない、絶対に忘れられないけど、忘れてしまいたいと思う。
そうしないと、きっと辛くて今という時代に生きていけないのだろう。

ふと思い出す過去の出来事は、今を生きるための薬なんだ・・・処方のしすぎは体に悪い。

役者陣は全体的な力の高さを感じました・・・声が凄い大きくて、すばらしいと思います。
劇団名に似合わず、会話の合間に長めの沈黙を入れるなど、想像以上に落ち着いたお芝居でした。
メインではないサブキャラクターが個性豊かで、殆どまともな会話の無いメイン達の周りでシリアスとオモシロのバランスとりをしておりました。
彼らのおかげで、芝居としての全体のレベル上げに成功していたように思います。

正直、サブキャラが出て来ると安心できた。

演出というか特に美術への進言があるとすれば、舞台美術・構成をもう少し考えた方が良いと思った。
舞台上にあまりにも何もなさ過ぎた・・・決して多くのシーンに切り替わるわけでもなく、家を舞台にしたリアルな情景を描いているのですから、もっとちゃんと部屋が作られていても良いと思う。
そうした方が、きっと家が描かれ、その中の関係の変化を具体的に表せたと思う・・・家という世界に彼らの半年なら半年の時間が再現されてしかるべき。

一体あのセットは家の中のどこなのか分からない・・・。
舞台美術に手を込めていないということが如実に出ている。
あまりにも安易な舞台構成は、正直見づらいし・・・でっかい貝はいらないでしょ。

脚本は、会話の中で一切確信を突かないで進んでいく。
ここの劇団の特色なのかもしれませんが、何故か会話で互いに確信の言葉を言いません。
ですから、暗にそこを隠して「~~だよね?」「~~でしょ?」と疑問系の台詞の堂々巡りがいたるところで発生していました。

なんで?って思いました・・・伏線があるわけでもなく、隠す必要は無いのではないでしょうか?
観客としては、一言で言えば済むことを、遠回りして5回いうとそれに何か意味があるはずと思ってしまいます。

あ、あと意味の無いエピソード・・・あるのかも知れませんけど、必要性が伝わってこない。
3人役者を削って、時間を20分短くする方が物語もスッキリするのでは?という勝手な提案です。

総論・・・。
役者は力あるひとが多いと思った。
男らしくて、声が大きくて・・・私には無い性質をもった人達なんだろうなと思う。
ですが、演出、脚本、スタッフワーク・・・周りのレベルが低くて力を活かしきれていない印象。

役者には満足・・・です!。

招待していただき、ありがとうございました!!

>>しのぶの演劇レビューでは、時間は過去→現在→未来に流れているけれども、実際には人間が体感できる順番は、現在→過去→未来ではないか?という前提から本作品を解釈しております。
うん、なるほどという知見です。

>>藤田一樹の観劇レポートでも評論されています・・・藤田君は中学生演劇評論家・・・見ている数が違います。
この年代からお芝居観ていれば、作でも評論でも、日本を背負っていく人になるかも知れませんね。
もしかしたら同じ日に観ていたかも知れません・・・若い人っていたかなぁ?

PS・・・東京ネジの役者さんを劇場にてハッケーーン!!

 →演劇ポータル「劇人」は演劇と観客を繋ぎます。

posted by yositosi at : 22:53 | コメント (2) | トラックバック (2)

2005年02月03日

グッバイ、レーニン!

大学の図書館に何故か置いてあった・・・なんで?

それは良いとして、前に井筒監督が「めっちゃええ!」と大絶賛していた映画だったので、じゃ見てみよう!という感じで、見てみました。

ヴォルフガング・ベッカー監督の作品であります。
東ベルリンの時代から壁が崩壊しドイツが統一されて資本主義国家へと変わっていくほんの1年にも満たない急速な時代の流れに取り残された母親とそれを巡る家族達の物語。

簡単なストーリーを言いますと、母が昏睡状態で意識を失っていた間に東ドイツは社会主義から資本主義に一気に変革、奇跡的に意識を取り戻すも強い刺激は死を招くと言われたアレックスは、社会主義を心から信奉していた母が、祖国の今の現状を知ったらきっとショックが大きすぎると考え、それを隠し続けることを決める。

そして、食事やらテレビやら旧東ドイツの生活を再現する為に試行錯誤を繰り返す。
そんな母親への愛情がこの映画の見もの。
そこまでするか~という努力に微笑ましく思う部分もあれば、ポロリと涙の一粒も落ちてしまうエピソードもあり。
丁寧に映画を作っているという感じ、役者達も名前が通っている人が出ているわけではないのだが、みな自然体という印象で、華も無く曇りも無く・・・あの時代が再現されている気がする。

母親にとって、もっともすばらしい最後をでっち上げていく過程、ロケット飛行士という象徴が社会主義を世界レベルで表象していく・・・最後の嘘は本当に素敵だった。

思うんだ・・・私は母親はきっと知っていたのではないか・・・敢えて騙されていた、それは息子が自分の為に一生懸命にしてくれる愛だから・・・。
そんな気がする。

 →演劇ポータル「劇人」は演劇と観客を繋ぎます。

posted by yositosi at : 11:20 | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年02月02日

面接の人達2006

岡本貴也(劇団タコあし電源)+デジタルハリウッド大学院のプロデュース公演「面接の人達2006」を中野MOMOに見に行ってきました。

「セミナー・面接・自己分析・・・90分で分かる内定のとり方」とあります。実際には2時間近くありましたが・・・就職塾の学生達が、就活に恋に奮闘する不思議な演劇でした。

就職活動まっしぐらな私には、リアルな問題として心に刺さってきましたし、就職活動に際してのスタートの力を分けてもらったような気がします。
物語の中で、就職活動の考え方とか、テクニックとか、ちょっとした一言が実際のノウハウとして勉強になってしまいました・・・こんな一石二鳥な演劇は初めて観たし、正直言って、感動している。

ただし、決して就職活動に関するテクニックを並べていくだけじゃなく、ちゃんと物語があって、その中でそれぞれの登場人物を綺麗に、丁寧に描いてく。
これだけ、個々のキャラクターに気を配っている脚本も珍しいなぁ・・・いろいろなタイプを出して、それぞれのタイプが就職で気を付けなくてはいけないポイントを担当して問題を片付けていく。
物語も、恋とか夢とかを織り交ぜて、丁寧な構造のストーリーに仕上げられていて、素直に感動できてしまう。

就活支援という体と正当な演劇としての体・・・それぞれに偏ることなく、それでいて両方とも丁寧な作りをしているという印象を持ちました。
決して、デジハリだからとかプロデュースだからと変な方向に走るわけでもなく、予想以上に正当なお芝居として十分に観賞に足るものに仕上がっていた。

そして、面白い。
いや、かなり面白かったなぁ・・・メインのキャラクターは演技重視であんまり動かなかったですが、周りの脇役陣の力が凄かったですね。
演出のブラジリィー・アン・山田さんの特徴なのかなぁ、ブラジルは1回しか観たこと無いのですが、どちらも脇役はパワー全開で終始面白いことに徹して、メインは意外にちゃんと芝居している。
脚本レベルでどこまでキャラクターが設定されているかは分からないのですが、少なくとも観た印象では、ブラジルと同じようなキャラクターの配置で、「中途半端なブラジル」という表現が似合うと思います。
エロさも無く、ドロドロも無く、役者も初々しい、限りなく透明に近いブラジルー!!

石坂いつかさん・・・面白すぎる!お気に入りの役者さんに強制登録。

中澤徳泰さん・・・アナウンサー役嵌っていました。

正直面白い形態のお芝居でした。
この劇団!という特色が出ている訳ではないですけど、企画として面白く、且つ上手く出来ていたと思います。
これだけの人達が関わったお芝居、まとめあげた皆さんに拍手です。

招待券ありがとうございました。

こちらに本公演に関する記事がありましたのでご紹介します。

 →演劇ポータル「劇人」は演劇と観客を繋ぎます。

posted by yositosi at : 21:46 | コメント (0) | トラックバック (0)